続々 私のSER体験 【野球少年の悔しさ】クレニオセイクラルセラピーからSERへ エピソード7

2013年にSER1を受けた後、翌年2014年のゴールデンウイークにSER2とクレニオセイクラルセラピーアドバンスを受けました。

合計9日間の長いセミナーで正直受けるのにためらいがありましたが、次いつあるかわからない上、東京での開業直前で時間はとれるので思い切って受けました。

インストラクターはアメリカのアプレージャーインスティチュート本部から来たチェスペリー先生でした。

 

チェスペリー先生はアプレージャー先生のもとで長くクレニオセイクラルセラピーに取り組まれてきた実質ナンバー2の先生でした。

チェスペリー先生はベトナム戦帰還兵や9. 11テロ被害者の方向けの心のケア、トラウマ問題をSERで取り組まれてきたそうです。

いろいろな話しを聞きましたがアメリカはスケールがでかく、イルカや馬をセラピーに使うことがあるそうです。

大きなセッションルームの真ん中の治療ベッドでクレニオセイクラルセラピーをしてその回りを馬がくるくる回ってる部屋があるそうです。

動物がもっている癒しのエネルギーを使ったセラピーだそうです。

狭い日本ではなかなか考えられませんが、とても興味が湧きました。

いつか日本でそんな事が出来たらいいなと考えてます。

そんな中、チェスペリー先生のSER2で私が体験した事をひとつ紹介します。

全く忘れていた少年時代の記憶

毎回のようにクレニオセイクラルセラピーを受けた後、しばらく横になっていました。

私は何故かその体勢で野球のバットを素振りしたくなりました。

寝たまま、野球の素振りを続けていたら、ある事を思い出したのです。

私は小学校の頃、近所のリトルリーグの野球チームに入っていました。

野球は好きでしたが、そのチームは他の小学校の児童が多く、私はチームに馴染めず何かがきっかけでまったくやる気がなくなりました。

バッティングの練習も本当は打てるのにわざと三振ばかりして早く終わらせていたのです。

その時の悔しさがこのSER2のセッション中に出てきたのです。

本当はガンガン、打ちたかったんだっ!

私は40年前の悔しさを思い出しバットを振り続けました。

寝ながらやってるのがやりずらくなり、

「ベッドから起きて立ってやっていいですか?」

とセラピスト役の人に断ってからベッドから起き上がって立って素振りを始めました。

状況を理解したセラピスト役の方が私が素振りする事に

カキーン❗️

とか

ホームラン‼️

とか言ってくれるのがとても嬉しく感じました。

打っても打っても気がおさまりません。

しかし、さすがに何組も回りにいたので回りの目が恥ずかしくなりまだやりたかったのにやめてしまいました。

これは大変いけない事でした。

私のなかではまだやりたりないその時のストレスが今だに残ってしまったのです。

自分の一人になってからやり直してやっても違うものなのです。

一度、SERのスイッチが入ってしまったら例え恥ずかしくても勝手に自分の意志でやめるのは良くない事だったのです。

その時、出し切ってしまうつもりで気の済むまでやらなければ解放しない事を学びました。

どんなに恥ずかしい動作や感情、これを言ったらまたはこの動作を行ったら変な人に思われるという感情は置いといてセッションでは全てさらけ出してしまうことが大切なのです。

所詮、セラピーはその場限りのものです。

些細な羞恥心は捨てご自身の内に秘めた負の財産(トラウマ)はセッションで廃棄してしまうのです。

それまで全く忘れていた小学校低学年の時の悔しさを解放するために40才過ぎて素振りの動作が出てくるまさにSERならではの体験をこの時しました。

 

 

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