続私のSER体験 【甦った実家への哀愁】クレニオセイクラルセラピーからSERへ エピソード4

2013年11月に参加したSER1(体性感情解放)セミナーでの私の体験

※SER(体性感情解放)についての詳しい説明はコチラ

SER(体性感情解放)のセミナーでは何回もセラピスト役になったり、クライアント役になったり、アシスタント役になったりして4日間SERを繰り返し体験、練習します。

私はとにかくクライアント役になると変わった派手なアクションをするので目立ちました。

私の場合はイメージでなく体を動かしたくなる動作とその時の記憶として良く出てきました。

そのほとんどが格闘技で投げられたとか蹴られたとかの過去の実体験の再現ばかりだったのです。

少し恥ずかしくもあったのですが、練習なので自分を抑えることなく思い切って身体から出る動きに身を任せました。

実際のSERのセッションでも自分がやりたいと思った動きはどんなに変わった動きでも、恥ずかしいと思うような変な動きでもやり切る事が大切です。

その事により、自分の中に溜まったトラウマが解消するからです。

周りの人はいつか私が暴れ出すのではと心配する人もいたようです。

ところが、何回目かのクライアント役のセッションではまったく動きが出ない時がありました。

仰向けになったまま、まったく動きたくありません。

寝返りをうって、うつ伏せのまましばらくそのままでいました。

セラピスト役の人に何か聞かれてもしゃべりたくありませんでした。

セミナーをしている部屋に午後の気持ち良い日差しが入ってきて私もとても気持ち良い感じでただただ寝そべっていました。

セラピスト役の人もあまり何も聞かずただ状況を見守ってました。

そのうち、ふと私は長崎の実家の庭に面した廊下の縁側で日差しの良い午後、よく寝そべってたのを思い出しました。

(ちなみに写真で使ってる水仙の花は長崎の実家の庭に咲いていたものです)

すると何故か私は涙が溢れ出だしたのです。

実はその時、私は長崎の実家を苦渋の選択で売りに出して上京してきていたのです。

私は長崎の実家が大変好きでしたが、総合的に考えると売りに出して上京せざるを得ませんでした。

土地を手放すに当たり、様々な障害があった為、私は詳細を誰にも話さずさまざまな誤解や非難を受けるのを承知で売りに出していました。

古い家でしたが、先祖代々の長崎の実家には大変お世話になり私自身、手放して処分するのは断腸の思いだったのです。

その我慢していた感情がその時、溢れでたのです。

多分、話しを聞いてるセラピスト役の人は内容がイマイチわからなかったと思いますが、私自身は誰にも話さない事柄を話せてスッとしました。

そして、実家の売却問題が自分の思ってる以上にストレスになってることに気がついたのです。

SERは文字通り、体性感情解放なのです。

身体がその体性になって初めてその感情が溢れ出てくるのです。

SERは泣いたり、笑ったり、怒ったり何が出てくるかわかりませんが、一つ言えることは貯めた感情は外に出してスッキリする事が健康的だと感じます。

決してセラピストはその感情を癒す存在ではありません。

セラピストはただただクライアントに寄り添う促進者なのです。

クライアントは自分の隠れた感情に気づいて初めて自分で自分を理解し癒すのです。

日本人は外人に比べ、感情を表にあまり出さない民族です。

しかし時代は少しずつ変わってきました。

日本人もだんだん感情表現が豊かになり、ひと昔前なら恥ずかしくてできないこともだんだん人前でできるようになってきているように感じます。

今こそ、SER(体性感情解放)が日本で広まる土壌が出来てきたように思います。

セミナーではたくさんの人前でやる場合もあるので少し恥ずかしさもありますが、サロンでのセッションではそんなこともありません。

今迄、抑えでいた感情や思いを一度、発散する事で気持ちをスッキリさせてまた明日から前を向いて歩いていけるようにするセラピーがSER(体性感情解放)なのです。

 

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